Infinity

scene2――――talking talking talking,speaking


案外きっかけってのは割としょーもないものなのかもしれない。


気が付いたら、俺は夜の駅前に足を運びっぱなしになっていた。もちろん、クラスメートの路上ライブを冷やかしに、である。少なくとも俺は、クラスの連中に何か言われたらそう返すことにしていた。特にシンゴは中々性質が悪くて(逆にジュンはこう言った事にほっとんど興味が無いらしいから世の中上手く出来ているもんだ)俺の事をお得意様だとクラスの中でも相当扱いに難しいと定評のある奴――例えばクラス一のヘンクツ者とか言われてるナカジとか――に自慢したりするもんだから、好奇の視線ってのは否応なく向けられてしまう。確かにジュンとは以前からの付き合いだけど、純真自体に義理なんざねえぞ。

じゃあ来るなって言われたら勿論困っちまう訳だが。

「いやあしかしまさかあのサイバー君が俺達の魅力に気が付いてくれるとはねえ。どうせならおひねりも払ってくれると嬉しいんだけど」
「こないだ五百円貸してまだ返ってきてない気がすんだけど、シンゴ君?」
「……やあんサイバー君のいじわるう!いたいけなコ―コーセーからむしったって何も出ないわよぉ」
「客の前で告発されなかっただけ有難いと思え。っつーか借りた金は返せ。何買った」
「いや購買のパン……って何でジュンまで俺の事追い詰めてんのー!?」
「大体お前は遅刻とか多すぎなんだよ、この場所だっていつまででも借りられる訳じゃないんだから……」
くすくす。
どこか殺伐としてすらいるむさくるしい野郎共の戯れの中を吹き抜ける、一陣の風。振り返る。サングラスの向こうで、真っ黒な少女が小さく笑っていた。
「かごめちゃん?」
「はい、かごめです。――ええっと」
「サイバー」
「サイバーさん、と、純真さん。こんばんわ」
サイバーと、純真。言葉の響きがちょっと違うのが分かる。何だかちょっぴり戸惑っているような、ちょっぴり言いにくそうな。そんな空気が、いつまでも抜けなくて――少し、まずい事してるんじゃねえの俺って気分になってしまう。何故か。
「今から?」
「はい」
少し恥ずかしそうに俯いて、彼女は僅かに頷く。もっと胸も声も張ればいいのに――シンゴの表情から言いたい事を推測するなんて、来週のギャンブラーZの必殺技を予測するよりもずっと簡単な事だ。ジュンの場合だと、神風トオルさんの名台詞を予測するよりも難しくなったりするんだけど。
少し怖くなって(何故だろう?)俺はシンゴが口を開く前に、声を出していた。シンゴは多分何も言わなかっただろうし――例え言ったとしても、俺の恐れた言葉なんて絶対に吐かなかっただろう、に。
「でもさー、かごめちゃん、ほんとすっげえな。こんなのあるんだあって、俺、びっくりした……みたいな」
「サイバーさん、初めて会った時もそうおっしゃってくれましたよね」

すっげえな。
すっげえ、な?
――……あれ。

「あ、言ったっけ?」
「言ってたじゃん。凄いーって……かごめちゃんこいつ見かけに違わず相当薄情な男だからね、あんまり本気になるんじゃないよ……うっうっ」
「シンゴお前なー……確かに俺言ったわ。凄いって。でもゴメン、一瞬忘れてたのは本当」
「ある意味魂の叫びだったな。お前のあんな顔が見れて、正直俺は嬉しかったよ」
たましいのさけび。
タマシイノ、サケビ?

いやいやそれは違うよジュン。叫んでたのは俺じゃない、彼女だ。俺が上げたのは単なる呻きにすらならない声の出来そこないで、だからこそそんな事を言っちまったのかって今思い出すような醜態を晒すハメになっちまったわけで、つまり俺は叫んでないんだ、ジュン。俺が上げたとしたら、それはきっと。
「――キョウメイ」
「は?」
「……そうだ、共鳴だ。共鳴だよ、かごめちゃん。魂のキョウメイ。共鳴ビーム!ずばばばーん、どっかーん、みたいな」
「相変わらず、意味分かるような分かんねーよーな」
「…………」
首を傾げるシンゴ。呆れたように黙すジュン。だけれどかごめだけは、まっすぐに俺を見ていた。その黒い瞳はぽっかりと虚ろな訳じゃない。はっきりとした光を持って、きちんとした意図の元に俺に向けられている。そりゃそうだ、当り前だ。彼女だって純真と変わらない路上の一人のシンガーで、例えばパルみたいに宇宙の果てからやってきた異星人なんてことは、多分、無いんだから。


大分、慣れた。
何度か聞けば、慣れる。最初に聞いた頃のように、我を忘れる事はもうなかった。
だけど、慣れたからと言って胸中に込み上げる思いを抑えられるかって言ったら、そんな事は全然なくて。
凄くて。
本当に凄くて。
圧倒されて、唖然としちまうんだ、けど。


「……大丈夫なの?」
「え?」
「あ……いや、その。歌ってて、大丈夫なのかなって」
「…………」
少しの沈黙があった。かごめは黒い瞳を伏せて、ぽつり、言った。
「声のこと、ですか」
その響きにあまりにも色が無くて、俺は意識せずに目を見開いてしまった。声?ああ、確かに君の声は凄い。とても凄い。どこからそんな声が出るんだって君のその細い肩を揺すりながら問い詰めて――
「いや……うん、それもあるんだけど」
「…………」
ジュンの視線を何故か感じた。目深に被った帽子の下から。
「詩」
「お前、初めて聞いた時もそんな事言ってたな」
「言ったよ」
噴水の前でギターをいじるシンゴが声を上げる。視線は感じない。
「……詩……?」
「そう、君の詩」
「…………」
かごめはまた瞳を伏せて、ぽつり、言った。だけれど今度の声には色があった。少しだけ上ずった、何かの色。
「大丈夫、ですよ。もちろん、私……自分で納得して歌ってますから」
「そっか」
「はい」
「……なら、いいけど」

そろそろ帰ろうぜぇ。シンゴの声がする。うるせえよと小突く気配。すっかり夜の更けた駅前広場。まだどこからか音楽の残滓が漂ってくるような気もしたけれど――基本的にそこはとても静かだった。
ふと、腕に何かが触れる。驚いて振り返る。黒い瞳が、俺を見上げていた。

口元が動く。

「ありがとうございました」
「……え」
「詩について言って下さったの、サイバーさんが初めてなんです。嬉しい」
きゅ、と。
触れた指先に力がこもった気がしたけれど――俺が声をかける前に、彼女は走り去ってしまった。

「間抜けもいーとこだ、俺」

小石なんて都合のいいものはどこにも転がって無かった。それでも俺はタイル張りにされた地面を蹴った。

つま先が、鈍く痛んだ。