Infinity

scene1――――about the strange "girl"

皆はそいつの声に圧倒されていた。
だけれど俺が圧倒されたのは、そいつの声じゃなくて、そいつの言葉だった。


「あれ、もう引き上げんの?」
冷やかしに覗いてみるかと訪れたデパートの前からは、もう音楽は聞こえてこなかった。代わりに聞こえてくるのはごそごそと何かを仕舞いこむ音や、溜息とも愚痴ともつかない曖昧な声。そろそろ暗さを増してきた空を見上てから、俺は再びデパートの前に目を向け、そんで言葉を発した。もちろん足を動かす事も忘れない。
「おうよ。今日はもう十分演ったからな。悪いか」
にへらとした笑みで返すのはオレンジの髪の方――シンゴだ。LoveやらPeaceやら今時珍しいストレートな文句を書き込んだアコースティックギターを袋にしまいこんでいる。隣で帽子の唾を直しているジュンは、目線は向けてくるものの無言だった。その視線から何となく殺気じみたものを感じたような感じなかったような気分がしたので、俺は一応背後を振り返る。先程まで足を止めて演奏に聞き入っていた(であろう)人影はどこにもなく、ただまばらな雑踏が宵闇の中蠢いているだけだった。
「いや、悪くないけど。……ぶっちゃけ早くね?いや、いつも覗いてるわけじゃねーからよく分からんけど」
「つーか何で来た」
「兄貴のお使いの帰り。駅ビルん中のドラ焼き屋で買って来いって」
「お前の趣味だっつーんなら遠慮なく爆笑させてもらう所だったけど、マコトさんじゃ駄目だ」言いながら、ジュンの口元には既に凶悪な笑みが浮かんでいた。いつも思うんだがこいつの冷え切った笑いは正直ギャグにもならないレベルで怖いからやめてほしい。「入れ違いで残念だったな、サイバー」
「どーせ冷やかしのつもりだったから関係ねーよ」
「ああもう、サイバー君のけち!」
唐突にそう声を上げて、シンゴが立ち上がる。撤収作業は完了したらしい。そのまま「じゃあまたなー」とか言ってこいつら帰るんだろうか、それならジュンにでも付いてくかな家近ぇし――とか考えてたら、がっしと腕を掴まれた。何事かと思って見上げると、目深に被った帽子の唾の下から、ジュンの瞳が真っ直ぐ俺を見つめていた。
「な、何だよ」
「せっかく来たんだからちょっと付き合え」
「……ちょ、何にだよ」
「ひょっとしたら俺達がさっさと引き上げちまう理由になるかもしれねーコト。だよな、ジュン?」
シンゴの声は分かりやすい。何かを企んでいるときははっきりそれが表に出てくるからだ。大してこの不愛想帽子男は、こくりと頷くだけで――再び口元を凶悪に吊り上げて「時間あるよな、サ・イ・バーちゃん?」とか言ってくるのだ。だから正直洒落にならないくらい怖いんだって、やめて欲しいんだって。マジでびびるっつーの。

連れてこられたのは駅前のロータリー広場だった。妙に凝った噴水が何故かそこそこ人を呼びつけてしまうような、所謂待ち合わせスポットみたいな場所だ。こんな時間でも人が集まるもんだなと思ったら――どうやらそいつらは、とある目的を持って集まったらしかった。ちらほらギターケースを持った影なんかも散見される。
「『お仲間』さん?」
「新入り。っつーか数日前からしか見てない」
腕はもう解かれていた。ジュンとかシンゴみたいに一度聴いてる奴なら二回目以降は音さえ聴ければ良いのかもしれないけど、いきなり連れてこられていきなり押し込まれた俺にとってみれば「音だけ聴いて我慢しろ」なんて無茶苦茶も良い所だ。立ち並ぶ人込みを強引に押し分けて――シンゴの非難めいた声とジュンの呆れたような溜息がはっきり耳に届いたが無視する――『主役』の影が見える場所まで足を進めた。ってなワケで、気が付いたら最前列まで出てきちゃってたんだけど。


目があったのは、黒いワンピースに黒いカーディガンに、黒い髪に、黒い瞳の、少女。
おひとり様。やくいちめい。


「――え」

目があって。
何故か、息を、呑んだ。
そして少女が、同時に、息を吸う。



何だ、これ。




いやだから何だこれ。
待てよおい、無茶苦茶だろ。これは無えよ、お前何うたってんだよ。お前何そんな声出して、そんなものうたって。

――そんなものを歌ってる奴は、結構いる。
俺だって、『そんなもの』が歌われたCD、何枚か持ってる。だけど、そういったもんには大抵伴奏って奴がくっついてて、時々コーラスなんかでハモっちゃったりして、名義には一人しか名前が無くても音が付いてる限りそれは二人以上な訳で、ってか仮にアカペラだったとしてもCDに録音されて誰かの手に渡ってる時点でもうそこには二人以上の人間が関わっている訳で、

俺は。

ひとりで、そんなことばをうたっているにんげんを、そのとき、はじめて――みた。
見てしまった。

俺には多分、ジュンとシンゴを恨む権利がある。持っていたドラ焼きがすっかり冷めてしまった事も含めて。


「……イバー、サイバー!」
「……シンゴ?」
「何こんな前まで来てるんだよ……おい、大丈夫か?」
「あ、ああ……うん」
背中に感じていた人の気配は既になくなっている。閑散とした空気と、シンゴの肩を揺する衝撃に――俺はようやく我を取り戻した。顔を上げる。
少女はまだそこに居た。
「何だよお前らしくないなー。うす、かごめちゃん。今日もお疲れ様」
「ええ、シンゴさんも」
「毎度思うんだけど、親御さんとか心配してないの?大丈夫?」
「それは平気です。母も、思い切りやってくれば良いって言ってくれてますから」
普通の声に、普通の言葉。そして出てきた『母』という単語に、俺は何故かひどい安堵感を覚えてしまった。ようやくサングラスの向こうの世界がはっきりとした輪郭をもちだしてきて、顔を上げる。心配そうな顔で何やら語りかけているシンゴと、彼の傍らで携帯をいじってるジュン。シンゴに語りかけられているのが、真っ黒なオンナノコ――『かごめ』。
「あの、さ」
「あ、はい?」
「『かごめ』ってのは、君の本名なの?」
「ええ、本名ですよ。かごめ。……ええと、純真さんの……」
ひどく普通の響き。ひどく普通の笑顔。学校に行って廊下を一周すれば、いくらでも目にすることが出来る笑顔。俺とそう年の頃は変わらないんだろうなと推測する(流石に中学生でこの時間までってのはヤバイだろうし)。周囲の世界が、普段の色を取り戻してきて――『かごめ』は、その中にひどく馴染んでいた。あたりまえのことなんだけど。
「クラスメートね。サイバー」
「……その、サイバーと、いうのは」
「渾名。こいつ本名で呼ばれんの基本的に嫌いらしいから」面倒そうにジュンに付け加えられて、俺は何故か妙にもやりとした気分になった。何か言えよ、とシンゴが俺の肘を小突いてくる。何か。そうだな、何かいおう。何か言わなければ。

「凄かった」
「え?」

「――君は、いつもあんな風な詩を歌ってるの?」


その時のシンゴの驚いたような顔。
その時のかごめの緩められた唇。

忘れることはないだろう。



俺はその言葉で、カナリヤの喉を完全に潰してしまったのだから。